2006年08月26日
コインランドリー探し
20泊目(通算47泊目)
四万十川を途中までさかのぼったあと、愛媛の八幡浜市に出た。
佐田岬の下にある小さな半島、諏訪崎林間公園キャンプ場をあてにして、行っては見たものの・・・・・
どうもね、ちょっと荷物を担いで上がらなきゃいけないようなところだったので、疲れ切っていた俺は嫌になってしまったんだな。
投げやりになり、誰もいないのをいいことに、公園の駐車場にテントを張った。

この日は二回目の洗濯をすることにした。カッパズボンに履き替えて、夜の八幡浜市街にコインランドリー探しの旅だ。
小さな市街地をグルグル走り回った。
コインランドリーってのは必ずしも大通りにあるものじゃないから、探すのに苦労した。またしても途中で嫌になり、本屋に入った。まだちょっと早いけれど、「ツーリングマップル九州」を購入。現実逃避だ。
本屋を出ると、雨がぱらつきだした。あきらめて、大物洗いのみのコインランドリーに入った。
ちょっとした洗濯物なのに13kgの洗濯機だ。乾燥も含め、1000円かかった。もったいない。
洗濯を待ちながら、コンビニ弁当で夕食。
正直、真っ暗なテントに戻るのが嫌だったね。寂しいし怖いし、貧乏旅行は楽じゃないなと思った。
四万十川を途中までさかのぼったあと、愛媛の八幡浜市に出た。
佐田岬の下にある小さな半島、諏訪崎林間公園キャンプ場をあてにして、行っては見たものの・・・・・
どうもね、ちょっと荷物を担いで上がらなきゃいけないようなところだったので、疲れ切っていた俺は嫌になってしまったんだな。
投げやりになり、誰もいないのをいいことに、公園の駐車場にテントを張った。
この日は二回目の洗濯をすることにした。カッパズボンに履き替えて、夜の八幡浜市街にコインランドリー探しの旅だ。
小さな市街地をグルグル走り回った。
コインランドリーってのは必ずしも大通りにあるものじゃないから、探すのに苦労した。またしても途中で嫌になり、本屋に入った。まだちょっと早いけれど、「ツーリングマップル九州」を購入。現実逃避だ。
本屋を出ると、雨がぱらつきだした。あきらめて、大物洗いのみのコインランドリーに入った。
ちょっとした洗濯物なのに13kgの洗濯機だ。乾燥も含め、1000円かかった。もったいない。
洗濯を待ちながら、コンビニ弁当で夕食。
正直、真っ暗なテントに戻るのが嫌だったね。寂しいし怖いし、貧乏旅行は楽じゃないなと思った。
2006年02月22日
渡良瀬遊水地2回目
・1日目(通算14泊目)

9月末、トラブっていた仕事が一区切りつき、強引に1週間休みを取って7日間のツーリングに出かけた。目的地は、東北人には遥か彼方、四国だ。
初日、いつものようにワインディングを走り継ぎ、夕暮れ過ぎにやっとこさ栃木県の日光市まで着いたのだが、今度は雨が降り出した。初日から雨キャンプなんて絶対嫌だ。
雨が降っていない方へいない方へと走り続け、結局群馬県の渡良瀬遊水地まで来た。
野宿ならば受付時間を心配することもない。暗闇の中テントを張ると、コンビニ弁当とカップめんを食べた。今回もまだ、お湯はクライムコンロで沸かす。
まだまだ旅慣れたとはいえない俺はグッスリ眠ることなどできず、翌朝日の出とともに目が覚めた。
幸い、夜中降っていた雨は上がった。気温は17℃、少々寒い。
だけど、これで寒いなんていっていられないんだ、この先・・・「南にいけば暖かくなる」という東北人の思い込み。
(2日目につづく)

9月末、トラブっていた仕事が一区切りつき、強引に1週間休みを取って7日間のツーリングに出かけた。目的地は、東北人には遥か彼方、四国だ。
初日、いつものようにワインディングを走り継ぎ、夕暮れ過ぎにやっとこさ栃木県の日光市まで着いたのだが、今度は雨が降り出した。初日から雨キャンプなんて絶対嫌だ。
雨が降っていない方へいない方へと走り続け、結局群馬県の渡良瀬遊水地まで来た。
野宿ならば受付時間を心配することもない。暗闇の中テントを張ると、コンビニ弁当とカップめんを食べた。今回もまだ、お湯はクライムコンロで沸かす。
まだまだ旅慣れたとはいえない俺はグッスリ眠ることなどできず、翌朝日の出とともに目が覚めた。
幸い、夜中降っていた雨は上がった。気温は17℃、少々寒い。
だけど、これで寒いなんていっていられないんだ、この先・・・「南にいけば暖かくなる」という東北人の思い込み。
(2日目につづく)
2006年02月10日
渡良瀬
・1日目(通算8泊目)
8月末、仕事の合間に連休を取り、東海ツーリングに出かけた。予定は5日間。
1泊目は渡良瀬遊水地。栃木県と群馬県にまたがる広大な公園のようなところ。
運動場から川原に出る途中の堤防の下が野宿ポイントだ。以前ここでキャンプしているのを見かけていたので、利用することにした。
キャンプ場じゃないのでもちろんタダ。
トイレや水道は少し歩くと公園のものを利用できる。地面もふかふかの草なので快適だ。
夜は人気が無いものの、近くに街の明かりも見え、小心な俺でもゆっくり眠れる。

街中でタダで止まれる貴重な場所だ。
朝になると散歩の人たちが結構多くなってきたので、早々に撤収した。
(2泊目に続く)
8月末、仕事の合間に連休を取り、東海ツーリングに出かけた。予定は5日間。
1泊目は渡良瀬遊水地。栃木県と群馬県にまたがる広大な公園のようなところ。
運動場から川原に出る途中の堤防の下が野宿ポイントだ。以前ここでキャンプしているのを見かけていたので、利用することにした。
キャンプ場じゃないのでもちろんタダ。
トイレや水道は少し歩くと公園のものを利用できる。地面もふかふかの草なので快適だ。
夜は人気が無いものの、近くに街の明かりも見え、小心な俺でもゆっくり眠れる。

街中でタダで止まれる貴重な場所だ。
朝になると散歩の人たちが結構多くなってきたので、早々に撤収した。
(2泊目に続く)
2006年02月08日
駐車場野宿
初めてのキャンプツーリングから3ヶ月のお盆休み。
今回は諸々の事情により、急遽購入したKDX125SRでのツーリングだ。
目的地は、オフ雑誌で見た林道を走るため、とりあえず野尻湖高原を目指すことにした。
予定は2泊。
天気の関係で出発が大幅に遅れた。会津若松を経てR252を只見方面へ進路を取ったものの、あまりにも出発が遅かったために、その頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。しかし、キャンプ経験の少ないくせに、「田舎なら適当な公園で野宿できるだろう」とタカをくくって先に進んだ。
もちろん心中はそんなに余裕ではない。そして実際、考えが甘かった。
こういうときに限っていい公園など見つからず、川原などで野宿したくても、真っ暗過ぎて適当な場所など探しようが無かった。明るいうちに当たりをつけておくべきなんだと思い知ったが、後の祭りだ。
おまけに雨がポツポツ落ち始める。
ここで雨が降り始めたらどうしたらいいのかわからない。キャンプ初心者の俺に、雨でテントを張るなんていうのは不可能に思えた。中身までビショビショになるのがオチで、とても寝るなんて無理だ。
かといって既に市街地からは遠くはなれ、ビジネスホテルなどありそうもない。
少々パニック状態になり、焦って走り回った。
しばらく進むと、「沼沢湖」という看板を発見。湖ならば湖畔にテントを張れそうだ。程なく到着すると、いきなりキャンプ場が目に飛び込んできた。キャンパーもいる。(沼沢湖キャンプ場)
「よかった~~~~~~~~~」と安堵したのも束の間、受付時間が過ぎ、管理棟は既に人気が無い。それもそのはず既に8時を回っている。
無断でテントを張るような度胸はないし・・・・・・再び頭を抱えることになってしまった。とりあえずその小さな湖を一回りしてみたが、残念ながらキャンプに適した場所は見つからない。
ただ一箇所、人気の無い駐車場があった。
既に8時半を回っており、いま人が居ないならばテントを張っても大丈夫だろうと判断。駐車場のアスファルトの上にテントを設営した。月明かりもなく、遠くの薄暗い街灯の光だけが頼りの設営。簡単な構造のテントで助かった。手探りでも何とかなる。
こんな時ヘッドライトでもあれば全然違うのだが、この時点ではそんなものの存在は知りもしないのだった。

PETZL(ペツル) デュオLED14
(凄いのがあるんですね。ここまでは必要ないって行ったら紹介している意味無いけど。選ぶ時は軽量、長時間、防水、耐久性はもちろんですが、電池の入手し易さも考慮した方がいいと思います)
とりあえずテントが整ったところで、今回の秘密兵器、クライムコンロの登場!
前回寒さに震えながら教訓を得たわけだが、かさばるガスストーブの購入に踏み切ることが出来なかった。そこで、安価でコンパクトなコレの登場となったわけだ。
同時に購入したコンパクトなコッヘルでお湯を沸かし、カップラーメンをいただいた。

キャプテンスタッグ クライムコンロ
(エスビットよりかなり火力があります)

スノーピーク ソロセット極チタン
(始めたときからこれ使ってます。軽くてコンパクト。ご飯を炊いて味噌汁作ってと、一人用にはばっちりです。チタンは焦げ付き易いという話も聞きますが、確かに焦げ付きました(笑)、他のどうなんだろう。)
この固形燃料、火力が意外に強い。2~3粒でアッサリとカップラーメン一杯のお湯を沸かすことが出来た。難点は固形燃料の補給と、鍋底につくスス、そして少々コッヘルが不安定な点。
ただし、このコンパクトさは大きなメリットだ。
カレーうどんで温まった後、さっさとシュラフに包まった。この夏は異常気象でやたらに寒かったが、さすがに凍えるほどでもない。ただ、夜中に車が入ってきたりして、何度か目が覚めた。駐車場なんだから当然なんだけど、ただでさえ疲れの取れないテント泊なのにこの調子では、なかなか安眠というわけには行かないのであった。
(2日目につづく)
今回は諸々の事情により、急遽購入したKDX125SRでのツーリングだ。
目的地は、オフ雑誌で見た林道を走るため、とりあえず野尻湖高原を目指すことにした。
予定は2泊。
天気の関係で出発が大幅に遅れた。会津若松を経てR252を只見方面へ進路を取ったものの、あまりにも出発が遅かったために、その頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。しかし、キャンプ経験の少ないくせに、「田舎なら適当な公園で野宿できるだろう」とタカをくくって先に進んだ。
もちろん心中はそんなに余裕ではない。そして実際、考えが甘かった。
こういうときに限っていい公園など見つからず、川原などで野宿したくても、真っ暗過ぎて適当な場所など探しようが無かった。明るいうちに当たりをつけておくべきなんだと思い知ったが、後の祭りだ。
おまけに雨がポツポツ落ち始める。
ここで雨が降り始めたらどうしたらいいのかわからない。キャンプ初心者の俺に、雨でテントを張るなんていうのは不可能に思えた。中身までビショビショになるのがオチで、とても寝るなんて無理だ。
かといって既に市街地からは遠くはなれ、ビジネスホテルなどありそうもない。
少々パニック状態になり、焦って走り回った。
しばらく進むと、「沼沢湖」という看板を発見。湖ならば湖畔にテントを張れそうだ。程なく到着すると、いきなりキャンプ場が目に飛び込んできた。キャンパーもいる。(沼沢湖キャンプ場)
「よかった~~~~~~~~~」と安堵したのも束の間、受付時間が過ぎ、管理棟は既に人気が無い。それもそのはず既に8時を回っている。
無断でテントを張るような度胸はないし・・・・・・再び頭を抱えることになってしまった。とりあえずその小さな湖を一回りしてみたが、残念ながらキャンプに適した場所は見つからない。
ただ一箇所、人気の無い駐車場があった。
既に8時半を回っており、いま人が居ないならばテントを張っても大丈夫だろうと判断。駐車場のアスファルトの上にテントを設営した。月明かりもなく、遠くの薄暗い街灯の光だけが頼りの設営。簡単な構造のテントで助かった。手探りでも何とかなる。
こんな時ヘッドライトでもあれば全然違うのだが、この時点ではそんなものの存在は知りもしないのだった。

PETZL(ペツル) デュオLED14
(凄いのがあるんですね。ここまでは必要ないって行ったら紹介している意味無いけど。選ぶ時は軽量、長時間、防水、耐久性はもちろんですが、電池の入手し易さも考慮した方がいいと思います)
とりあえずテントが整ったところで、今回の秘密兵器、クライムコンロの登場!
前回寒さに震えながら教訓を得たわけだが、かさばるガスストーブの購入に踏み切ることが出来なかった。そこで、安価でコンパクトなコレの登場となったわけだ。
同時に購入したコンパクトなコッヘルでお湯を沸かし、カップラーメンをいただいた。

キャプテンスタッグ クライムコンロ
(エスビットよりかなり火力があります)

スノーピーク ソロセット極チタン
(始めたときからこれ使ってます。軽くてコンパクト。ご飯を炊いて味噌汁作ってと、一人用にはばっちりです。チタンは焦げ付き易いという話も聞きますが、確かに焦げ付きました(笑)、他のどうなんだろう。)
この固形燃料、火力が意外に強い。2~3粒でアッサリとカップラーメン一杯のお湯を沸かすことが出来た。難点は固形燃料の補給と、鍋底につくスス、そして少々コッヘルが不安定な点。
ただし、このコンパクトさは大きなメリットだ。
カレーうどんで温まった後、さっさとシュラフに包まった。この夏は異常気象でやたらに寒かったが、さすがに凍えるほどでもない。ただ、夜中に車が入ってきたりして、何度か目が覚めた。駐車場なんだから当然なんだけど、ただでさえ疲れの取れないテント泊なのにこの調子では、なかなか安眠というわけには行かないのであった。
(2日目につづく)
2006年01月31日
赤木高原の夜 4
真夜中のSAには不思議な人がいた。
一人は明らかに免許のない小僧で、大きなバッグを持ってベンチにひたすらたたずんでいた。ヒッチハイカーという感じにも見えないが、何を待っているのか。
もう一人はおじいさんで、一晩中本を読んでいた。車で寝ればいいのに、なぜ?
そして、寝袋とメットを抱えてベンチにたたずむ俺。
スナックコーナーのトン汁定食の写真を見ながら、腹をグーグー言わせていた。まだ朝飯の時間じゃない、と我慢するのがまた辛い。
寝たり起きたりを繰り返しながら、なんとか朝の4時までたどり着いた。長い夜だった。もう眠れなくなった。
出発しよう。幸い雨も上がった。
トイレの洗面所で顔を洗う。歯も磨く。誰もいないことを確認して、頭も洗う。そして、汗拭きシートで体を拭き、Tシャツを着替えて、やっとスッキリした。
念願のトン汁定食を食べ、朝日の下、ストレッチをしてバイクにまたがり、SAを出た。大変だったが、凄く思い出に残る夜だった。
すぐ次のSAで高速を降りると、料金所のおじさんに不審がられた。そりゃ一区間に一晩かかったんでは当然だが、意外に時間を見ているものなんだと知った。
その後、榛名山経て妙義山に到着。誰もいない駐車場で、ついに耐え切れなくなり、地べたに寝転がって30分ほど寝た。
(榛名山へ向かう途中)

さらに碓氷峠を経て秩父へ向かう。
寝不足はいかんともしがたく、大好きなワインディングロードさえ苦痛に感じ始める。気温は34℃。灼熱と寝不足と疲労でぼろぼろになった。
午後2時半、秩父の道の駅「荒川」で休憩。何気なく裏の渓谷を眺めていると、雨が降っているような線が見え始めた。もちろん雨は降っていない。
これはヤバイことになっているのかもしれない。
日陰のベンチで、また30分ほど寝た。
目を覚ますと、通り雨が道を濡らしていた。
今日は富士山が見えるところまでいきたかったが、もう限界だと思った。
地図を見て、この先の甲府で宿をとることにした。もう一泊野宿したりしたら、確実に事故を起こす。
秩父往還道の雁坂トンネルを抜け、甲府に向け下っていくと、石和温泉のビジネスホテルの看板を発見。迷わず石和温泉に向かうことにした。一秒でも早くベッドに横になりたかった。
探すのももどかしく、「宿泊案内(無料)」に飛び込んで、場所を聞いた。
この時、“こういった案内所で斡旋しているのは旅館や観光ホテルであって、ビジネスホテルは関係ないこと”、“旅館や観光ホテルは1人の宿泊は歓迎されないこと”を知った。勉強になる。幸いおじさんが親切にビジホの場所を教えてくれて、程なく到着することが出来た。
そこがツーリングではじめて泊まったビジネスホテル。一泊4500円。
フロントのおばちゃんがバイクを玄関脇に置かせてくれて、「見ててあげるから」と言ってくれた。親切で料金も安いし、部屋も比較的きれい。もちろんテレビも無料。“当たり”のホテルだ。
部屋に入ると、心の底からホッとした。屋根と壁と布団があるってのは、なんてすばらしいことなんだろう!
ホテル一階のコンビニで弁当を買い、テレビを見ながら食べた。
荷物を整理して、シャワーを浴びて、6時台のアニメを見ながらベッドに横になった。
7時のニュースを見てから・・・・と思いながら、あっという間に深い眠りに落ちていったのだった。
何の不安もなくフカフカのベッドで横になっている幸福感は言葉に出来ないほどすばらしく、今でも忘れられない。
翌朝7時半まで、一度も途切れることなくグッスリ。こんなに良く寝たことは、後にも先にも記憶にない。おかげでその日は絶好調で、念願の箱根、伊豆を走り回ることが出来た。
すっかり野宿に懲りて、その夜は伊東のビジネスホテルに泊まった。
そこでもホテル探しに苦労したが、それはまた別の話。
一人は明らかに免許のない小僧で、大きなバッグを持ってベンチにひたすらたたずんでいた。ヒッチハイカーという感じにも見えないが、何を待っているのか。
もう一人はおじいさんで、一晩中本を読んでいた。車で寝ればいいのに、なぜ?
そして、寝袋とメットを抱えてベンチにたたずむ俺。
スナックコーナーのトン汁定食の写真を見ながら、腹をグーグー言わせていた。まだ朝飯の時間じゃない、と我慢するのがまた辛い。
寝たり起きたりを繰り返しながら、なんとか朝の4時までたどり着いた。長い夜だった。もう眠れなくなった。
出発しよう。幸い雨も上がった。
トイレの洗面所で顔を洗う。歯も磨く。誰もいないことを確認して、頭も洗う。そして、汗拭きシートで体を拭き、Tシャツを着替えて、やっとスッキリした。
念願のトン汁定食を食べ、朝日の下、ストレッチをしてバイクにまたがり、SAを出た。大変だったが、凄く思い出に残る夜だった。
すぐ次のSAで高速を降りると、料金所のおじさんに不審がられた。そりゃ一区間に一晩かかったんでは当然だが、意外に時間を見ているものなんだと知った。
その後、榛名山経て妙義山に到着。誰もいない駐車場で、ついに耐え切れなくなり、地べたに寝転がって30分ほど寝た。
(榛名山へ向かう途中)

さらに碓氷峠を経て秩父へ向かう。
寝不足はいかんともしがたく、大好きなワインディングロードさえ苦痛に感じ始める。気温は34℃。灼熱と寝不足と疲労でぼろぼろになった。
午後2時半、秩父の道の駅「荒川」で休憩。何気なく裏の渓谷を眺めていると、雨が降っているような線が見え始めた。もちろん雨は降っていない。
これはヤバイことになっているのかもしれない。
日陰のベンチで、また30分ほど寝た。
目を覚ますと、通り雨が道を濡らしていた。
今日は富士山が見えるところまでいきたかったが、もう限界だと思った。
地図を見て、この先の甲府で宿をとることにした。もう一泊野宿したりしたら、確実に事故を起こす。
秩父往還道の雁坂トンネルを抜け、甲府に向け下っていくと、石和温泉のビジネスホテルの看板を発見。迷わず石和温泉に向かうことにした。一秒でも早くベッドに横になりたかった。
探すのももどかしく、「宿泊案内(無料)」に飛び込んで、場所を聞いた。
この時、“こういった案内所で斡旋しているのは旅館や観光ホテルであって、ビジネスホテルは関係ないこと”、“旅館や観光ホテルは1人の宿泊は歓迎されないこと”を知った。勉強になる。幸いおじさんが親切にビジホの場所を教えてくれて、程なく到着することが出来た。
そこがツーリングではじめて泊まったビジネスホテル。一泊4500円。
フロントのおばちゃんがバイクを玄関脇に置かせてくれて、「見ててあげるから」と言ってくれた。親切で料金も安いし、部屋も比較的きれい。もちろんテレビも無料。“当たり”のホテルだ。
部屋に入ると、心の底からホッとした。屋根と壁と布団があるってのは、なんてすばらしいことなんだろう!
ホテル一階のコンビニで弁当を買い、テレビを見ながら食べた。
荷物を整理して、シャワーを浴びて、6時台のアニメを見ながらベッドに横になった。
7時のニュースを見てから・・・・と思いながら、あっという間に深い眠りに落ちていったのだった。
何の不安もなくフカフカのベッドで横になっている幸福感は言葉に出来ないほどすばらしく、今でも忘れられない。
翌朝7時半まで、一度も途切れることなくグッスリ。こんなに良く寝たことは、後にも先にも記憶にない。おかげでその日は絶好調で、念願の箱根、伊豆を走り回ることが出来た。
すっかり野宿に懲りて、その夜は伊東のビジネスホテルに泊まった。
そこでもホテル探しに苦労したが、それはまた別の話。
2006年01月30日
赤木高原の夜 3
突然の雷雨。
まだ8時台のSAの建物内は、当然のように、雨宿りするお客さんで一杯になった。
もちろんイスなど空いていないし、落ち着いて立っている場所すらない。
荷物を抱えたまま自動販売機コーナーの一角にたたずんだり、トイレの入り口のひさしの下に立ったり、身の置き場すら見つけられない。ひたすら「早く止んでくれ」と願うばかりの、アリンコのごとき無力さ。まさに“途方に暮れる”という言葉がぴったりくる。
30分ほどSA内をさまよっていると、願いが通じたのか、雨が上がった。
相変わらず込み合う店内を出て、早くも乾き始めた歩道の段差に座り込んだ。
真夏だけに乾くのも早い。
しばらくすると、先ほどのベンチもなんとか座れるようになった。
雨は去った。今度こそ眠れる。
再び荷物を広げ、シュラフを出し、横になって空を見上げた。
確かに雨は上がった。だが、空からはまだ雷鳴が聞こえる。
そして、横になって5分もしないうちに、雨雲は再びやってきた。
まるで、さっきのビデオを再生しているかのようだった。荷物を抱え、先ほどよりは少し空いたSAの建物に駆け込んだ。まだイスは空いていなかったが・・・。
今度の雨はすぐには止まなかった。弱まってきて止むかと思いきや、シトシトといつまでも降り続けた。
またしても建物内をうろつく不審者状態。このままではイカン! 打開策を練り始めた。
いっそのこと雨の降っていないところまで走ってしまおうか、だが、どこまでも雨が降っていたらどうしよう。かと言って、この時間(10時過ぎ)からホテルを探すというのも無理だし・・・。
結局、決断することも出来ず、ただひたすら時間がたつのを待つほかなかった。
さすがに11時過ぎるとイスも空いてきて、座って地図を見ながら時間をつぶすことができた。
1時過ぎるとさすがに閑散としてくる。ここまでくればもう選択肢はない。ここで寝るしかない。
だが、店内で堂々と横になる度胸はなかったので、座ったままの姿勢で目をつむる。首が痛くなって、30分置きに起きては体を伸ばしたり散歩したり。そんなことを繰り返しながら、SAの夜は更けて行った・・・・
(つづく)
まだ8時台のSAの建物内は、当然のように、雨宿りするお客さんで一杯になった。
もちろんイスなど空いていないし、落ち着いて立っている場所すらない。
荷物を抱えたまま自動販売機コーナーの一角にたたずんだり、トイレの入り口のひさしの下に立ったり、身の置き場すら見つけられない。ひたすら「早く止んでくれ」と願うばかりの、アリンコのごとき無力さ。まさに“途方に暮れる”という言葉がぴったりくる。
30分ほどSA内をさまよっていると、願いが通じたのか、雨が上がった。
相変わらず込み合う店内を出て、早くも乾き始めた歩道の段差に座り込んだ。
真夏だけに乾くのも早い。
しばらくすると、先ほどのベンチもなんとか座れるようになった。
雨は去った。今度こそ眠れる。
再び荷物を広げ、シュラフを出し、横になって空を見上げた。
確かに雨は上がった。だが、空からはまだ雷鳴が聞こえる。
そして、横になって5分もしないうちに、雨雲は再びやってきた。
まるで、さっきのビデオを再生しているかのようだった。荷物を抱え、先ほどよりは少し空いたSAの建物に駆け込んだ。まだイスは空いていなかったが・・・。
今度の雨はすぐには止まなかった。弱まってきて止むかと思いきや、シトシトといつまでも降り続けた。
またしても建物内をうろつく不審者状態。このままではイカン! 打開策を練り始めた。
いっそのこと雨の降っていないところまで走ってしまおうか、だが、どこまでも雨が降っていたらどうしよう。かと言って、この時間(10時過ぎ)からホテルを探すというのも無理だし・・・。
結局、決断することも出来ず、ただひたすら時間がたつのを待つほかなかった。
さすがに11時過ぎるとイスも空いてきて、座って地図を見ながら時間をつぶすことができた。
1時過ぎるとさすがに閑散としてくる。ここまでくればもう選択肢はない。ここで寝るしかない。
だが、店内で堂々と横になる度胸はなかったので、座ったままの姿勢で目をつむる。首が痛くなって、30分置きに起きては体を伸ばしたり散歩したり。そんなことを繰り返しながら、SAの夜は更けて行った・・・・
(つづく)
2006年01月29日
赤木高原の夜 2
買い物を終え、白石インター(宮城県)より高速に乗る。いよいよツーリングの始まりだ。
栃木の那須で降りると、塩原の「もみじライン」から「霧降有料」「いろは坂」とワインディングを走り継ぎ、午後3時半、日光中禅寺湖へ到着。
俺の大好きな湖だ。湖畔の落ち着いた雰囲気、すばらしい景色。宇都宮に住んでいたときは、毎週のように通ったもので、宮城に戻ってからも行きたくて仕方なかった。
念願がかなって最高だ。

しかしその一方、疲れ切ってもいた。
慣れない遠出による疲労、緊張、そして何よりも、寝床が決まっていない不安・・・
寝袋だけもって出たのは、「ホテルは高いので泊まりたくないが、テントを持っていく(つまり確実に野宿する)ほどの自信もない」という中途半端な考えの結果だった。
刻々と近づく日没。頭を抱え、地図をながめる。
「落ち着いて野宿できる場所はないものか」
小心者の俺には、山の中で寝るなどという選択肢はありえなかった。寝るなら道の駅かSAだ。
そう、高速のSAならベンチもあるし、夜になればひと気もなくなり、最適だ!
このときの俺には、すばらしいアイディアに思えた。
金精峠を経て、関越道の昭和インターから高速に乗り、すぐ先の赤木高原SAに入る。そこは料金所というもので一般道から隔離され、静かで落ち着ける場所のはずだった。
が、しかし!
そこにはたくさんの車、人、そして出店まであり、まさにお祭り状態、大賑わい。
“お盆休み”“関東”、このキーワードだけで十分に予想できたはずだが、そのころの俺は何も知らない甘ちゃん。
「な、なにこれ・・・こんなんじゃ、寝るどころじゃねーよ・・・・・・」
既に日も暮れている。高速SAなので、「他の場所を探して、ダメだったらまた戻ってくる」というわけにもいかない。バイクから降りることもできず、呆然とするのみだった。
少しして気を取り直し、SAの中を歩いた。
店内は満員。スナックコーナーは満席。ベンチも満席。座って一息つくことも、地図を眺めることもできない。腹が減ったが、高速に乗る前に買ったハンバーガーを食べる場所すらない。
だが、ふらふらとトイレのほうに行くと、なんと建物の裏に庭園スペースを発見!
薄暗い街灯に照らされるのみのその場所は、その暗さからか誰にも気づかれず、ほぼ無人。表の賑わいとは別世界だ。
そして、奥に入っていくと、ちょうどいいベンチがあった。
「ここなら寝られる!」
嬉々としてバイクから荷物を取ってきた。
薄暗い一角に戻り、このとき初めてライトが必要だと気づいた。荷物が見えない。ベンチの汚れ具合もわからない。

マグライト 2Aホルスターコンボ
このとき持っていたキャンプ道具は、シュラフただ一つ。何も考えていなかったとしか思えない。
自分はもう少し慎重な人間だと思っていたんだが、どうやら違ったようだ。
ともかく、落ち着ける場所を見つけることができホッとして、やっとハンバーガーの包みを開くことが出来た。湯気でしわしわになったうえに、既に冷めてしまっていたが、なんとも旨い。
が、その時!!
まだ、一個目のハンバーガーを食べ終わらないまさにその時・・・ウソみたいだが、本当にそんなタイミングで、雨が降り出した。
それも、「ポツポツきた」と思うや否や、みるみる本降り。そしてゴロゴロ、ズドーンと雷鳴が響き渡る。
あわてて荷物をかき集め、建物の中に逃げ込んだのだった。
(つづく)
栃木の那須で降りると、塩原の「もみじライン」から「霧降有料」「いろは坂」とワインディングを走り継ぎ、午後3時半、日光中禅寺湖へ到着。
俺の大好きな湖だ。湖畔の落ち着いた雰囲気、すばらしい景色。宇都宮に住んでいたときは、毎週のように通ったもので、宮城に戻ってからも行きたくて仕方なかった。
念願がかなって最高だ。
しかしその一方、疲れ切ってもいた。
慣れない遠出による疲労、緊張、そして何よりも、寝床が決まっていない不安・・・
寝袋だけもって出たのは、「ホテルは高いので泊まりたくないが、テントを持っていく(つまり確実に野宿する)ほどの自信もない」という中途半端な考えの結果だった。
刻々と近づく日没。頭を抱え、地図をながめる。
「落ち着いて野宿できる場所はないものか」
小心者の俺には、山の中で寝るなどという選択肢はありえなかった。寝るなら道の駅かSAだ。
そう、高速のSAならベンチもあるし、夜になればひと気もなくなり、最適だ!
このときの俺には、すばらしいアイディアに思えた。
金精峠を経て、関越道の昭和インターから高速に乗り、すぐ先の赤木高原SAに入る。そこは料金所というもので一般道から隔離され、静かで落ち着ける場所のはずだった。
が、しかし!
そこにはたくさんの車、人、そして出店まであり、まさにお祭り状態、大賑わい。
“お盆休み”“関東”、このキーワードだけで十分に予想できたはずだが、そのころの俺は何も知らない甘ちゃん。
「な、なにこれ・・・こんなんじゃ、寝るどころじゃねーよ・・・・・・」
既に日も暮れている。高速SAなので、「他の場所を探して、ダメだったらまた戻ってくる」というわけにもいかない。バイクから降りることもできず、呆然とするのみだった。
少しして気を取り直し、SAの中を歩いた。
店内は満員。スナックコーナーは満席。ベンチも満席。座って一息つくことも、地図を眺めることもできない。腹が減ったが、高速に乗る前に買ったハンバーガーを食べる場所すらない。
だが、ふらふらとトイレのほうに行くと、なんと建物の裏に庭園スペースを発見!
薄暗い街灯に照らされるのみのその場所は、その暗さからか誰にも気づかれず、ほぼ無人。表の賑わいとは別世界だ。
そして、奥に入っていくと、ちょうどいいベンチがあった。
「ここなら寝られる!」
嬉々としてバイクから荷物を取ってきた。
薄暗い一角に戻り、このとき初めてライトが必要だと気づいた。荷物が見えない。ベンチの汚れ具合もわからない。

マグライト 2Aホルスターコンボ
このとき持っていたキャンプ道具は、シュラフただ一つ。何も考えていなかったとしか思えない。
自分はもう少し慎重な人間だと思っていたんだが、どうやら違ったようだ。
ともかく、落ち着ける場所を見つけることができホッとして、やっとハンバーガーの包みを開くことが出来た。湯気でしわしわになったうえに、既に冷めてしまっていたが、なんとも旨い。
が、その時!!
まだ、一個目のハンバーガーを食べ終わらないまさにその時・・・ウソみたいだが、本当にそんなタイミングで、雨が降り出した。
それも、「ポツポツきた」と思うや否や、みるみる本降り。そしてゴロゴロ、ズドーンと雷鳴が響き渡る。
あわてて荷物をかき集め、建物の中に逃げ込んだのだった。
(つづく)
2006年01月28日
赤城高原の夜 1
初の泊まりツーリングをやりきったものの、それからしばらくは再び日帰りツーリングの日々だった。
そして一年後のお盆休み、再び泊まりツーリングに出発する。
懲りずに野宿の計画・・・いや、そもそも計画などというものは存在しなかったわけだが・・・。
とりあえず目的地だけは決めている。
バイクのメッカ(?)、箱根だ。
昨年使ったドでかい綿の封筒型シュラフを取り出し、バイクに乗せた。
この期に及んで、“マミー型シュラフ”“ダウンシュラフ”の方が収納性、保温性に優れるなどということは知りもしない。

モンベル U.L.スーパーストレッチ ダウンハガー #3
封筒型はでかい。綿もでかい。
愛車CBR900RRのレーシーなフォルムに、あまりにも似つかわしくないその大荷物。
このころは「キャンプツーリングする人ってのは、こんな大荷物のほかにテントまで持つのか~。信じられん」と、真面目に感心していたものである。世間知らずというか馬鹿というか、ちょっと雑誌を見ればわかることなのだが・・・
それにしても、見れば見るほどでかい。
「こんなデカブツを抱えて4日もツーリングなんてやってられん!」
出発直前になって悩みに悩んだ末、結局一回しか使っていないそのシュラフを家に残し、行きがけのホームセンターのキャンプコーナーで、1280円の安シュラフを買ったのだった。
同じく封筒型の綿シュラフだが、こちらは綿が少ないので幾分マシ。
だが、この時は知る由もないが、このシュラフの出番が来ることは・・・ないのだった。
(つづく)
そして一年後のお盆休み、再び泊まりツーリングに出発する。
懲りずに野宿の計画・・・いや、そもそも計画などというものは存在しなかったわけだが・・・。
とりあえず目的地だけは決めている。
バイクのメッカ(?)、箱根だ。
昨年使ったドでかい綿の封筒型シュラフを取り出し、バイクに乗せた。
この期に及んで、“マミー型シュラフ”“ダウンシュラフ”の方が収納性、保温性に優れるなどということは知りもしない。

モンベル U.L.スーパーストレッチ ダウンハガー #3
封筒型はでかい。綿もでかい。
愛車CBR900RRのレーシーなフォルムに、あまりにも似つかわしくないその大荷物。
このころは「キャンプツーリングする人ってのは、こんな大荷物のほかにテントまで持つのか~。信じられん」と、真面目に感心していたものである。世間知らずというか馬鹿というか、ちょっと雑誌を見ればわかることなのだが・・・
それにしても、見れば見るほどでかい。
「こんなデカブツを抱えて4日もツーリングなんてやってられん!」
出発直前になって悩みに悩んだ末、結局一回しか使っていないそのシュラフを家に残し、行きがけのホームセンターのキャンプコーナーで、1280円の安シュラフを買ったのだった。
同じく封筒型の綿シュラフだが、こちらは綿が少ないので幾分マシ。
だが、この時は知る由もないが、このシュラフの出番が来ることは・・・ないのだった。
(つづく)
2006年01月27日
キャンプ以前 2
諏訪湖は花火の見物客で一杯だった。
湖畔にテントを張っている人も多い。
これは野宿し易い雰囲気かも!
不安が少し和らいだ。
が、花火終了後、いざ野宿ポイントを探し始めると、意外と落ち着ける場所が無い。
周辺の強烈な渋滞のため、湖畔から人がはけないのだ。
バイクから離れるのも不安だし、人がいるので、バイクを公園に突っ込むわけにもいかない。
落ち着ける場所を求めてさまようものの、渋滞にはまって引き返す。
12時過ぎても湖畔の渋滞は収まらない。公園では若者グループが手持ち花火で盛り上がっていて、絡まれたりいたずらされたりしそうで、とてもじゃないがベンチで横になるなんていう状況じゃない。
あと何時間待てばこいつらはいなくなるのか・・・・
膝を抱えて湖を眺めながら、途方に暮れた。
1時過ぎるとさすがに若者グループも減ってきた。
人がいない一角に陣取り、やっと落ち着けると一息ついたが・・・ボソボソとどこからとも無く聞こえてくる話し声。よくよく見れば、湖畔に人影があるようなないような。
アベックだった。
ヤツ等のロマンチックナイトは1時半過ぎても終わらず、俺はあきらめて寝る態勢に入ったのだった。
ベンチの前にバイクを置いて目隠しとし、シュラフを広げ、タンクバッグを枕に横になった。
渋滞のライトの列はいつまでも途切れず、恋人達の語らいも終わることはなく・・・・眠れたのは2時過ぎだったろうか・・・
そして翌朝。

真夏ではあったものの、諏訪盆地の朝は意外に冷えた。シュラフは朝露で濡れ濡れ。
ぐっすり眠れるはずもなく、目覚めたのは4時半だ。
硬い寝床と寝不足で爽快な朝というわけでもないのに、目を開けて最初に見えた“朝もやの湖畔”に、不思議に贅沢な気分になった。
シュラフを片付けてボーっと湖を眺めていると、「ここで寝たの?」と、早朝散歩のおじさんが話しかけてきた。
ツーリングで知らない人と話したのは、これが初めてだ。少し言葉を交わして立ち去ったあと、初めての旅先での交流のささやかな喜びを感じていると、おじさんがまた戻ってきた。
「ハイこれ」とパック牛乳を差し出す。恐縮してしまったが、もらって飲みながらまた少し話した。「どっからきたの?」とか「どこを観てきたの?」とかそんな話。
こんなこともあるんだな~。日帰りでは味わえないことだ。
おじさんはしばらく話した後、パックのゴミを受け取って帰っていった。
これが最初の泊まりツーリング。
湖畔にテントを張っている人も多い。
これは野宿し易い雰囲気かも!
不安が少し和らいだ。
が、花火終了後、いざ野宿ポイントを探し始めると、意外と落ち着ける場所が無い。
周辺の強烈な渋滞のため、湖畔から人がはけないのだ。
バイクから離れるのも不安だし、人がいるので、バイクを公園に突っ込むわけにもいかない。
落ち着ける場所を求めてさまようものの、渋滞にはまって引き返す。
12時過ぎても湖畔の渋滞は収まらない。公園では若者グループが手持ち花火で盛り上がっていて、絡まれたりいたずらされたりしそうで、とてもじゃないがベンチで横になるなんていう状況じゃない。
あと何時間待てばこいつらはいなくなるのか・・・・
膝を抱えて湖を眺めながら、途方に暮れた。
1時過ぎるとさすがに若者グループも減ってきた。
人がいない一角に陣取り、やっと落ち着けると一息ついたが・・・ボソボソとどこからとも無く聞こえてくる話し声。よくよく見れば、湖畔に人影があるようなないような。
アベックだった。
ヤツ等のロマンチックナイトは1時半過ぎても終わらず、俺はあきらめて寝る態勢に入ったのだった。
ベンチの前にバイクを置いて目隠しとし、シュラフを広げ、タンクバッグを枕に横になった。
渋滞のライトの列はいつまでも途切れず、恋人達の語らいも終わることはなく・・・・眠れたのは2時過ぎだったろうか・・・
そして翌朝。

真夏ではあったものの、諏訪盆地の朝は意外に冷えた。シュラフは朝露で濡れ濡れ。
ぐっすり眠れるはずもなく、目覚めたのは4時半だ。
硬い寝床と寝不足で爽快な朝というわけでもないのに、目を開けて最初に見えた“朝もやの湖畔”に、不思議に贅沢な気分になった。
シュラフを片付けてボーっと湖を眺めていると、「ここで寝たの?」と、早朝散歩のおじさんが話しかけてきた。
ツーリングで知らない人と話したのは、これが初めてだ。少し言葉を交わして立ち去ったあと、初めての旅先での交流のささやかな喜びを感じていると、おじさんがまた戻ってきた。
「ハイこれ」とパック牛乳を差し出す。恐縮してしまったが、もらって飲みながらまた少し話した。「どっからきたの?」とか「どこを観てきたの?」とかそんな話。
こんなこともあるんだな~。日帰りでは味わえないことだ。
おじさんはしばらく話した後、パックのゴミを受け取って帰っていった。
これが最初の泊まりツーリング。
2006年01月26日
キャンプ以前 1
25歳でバイクに乗り始めた。
ツーリングなんて意識になかったが、はじめてみるとこれが面白い。
徐々にはまっていくと、だんだん遠出したくなるのは自然な流れだが、そこで問題になるのが宿泊だ。
それまでの俺の宿泊経験はといえば、家族旅行での旅館、ホテルなどと、出張やレースの遠征時のビジネスホテルだ。
費用を節約しようと思えばビジネスホテルだが、それでも大体6000円はかかる。ただ寝るだけのためにこの金額、何とかならないものだろうかと考え込んだ。
もちろんキャンプも考えたが、テント、寝袋、その他金がかかる。何泊もしないと元が取れないわけだが、「果たしてそんなに使うのか?」と思うと、なかなかふん切れないでいた。
そんな状態だったが、なんとなく寝袋だけは買った。ディスカウントストアで、綿の封筒型シュラフ。
こんな感じの↓安くてでかいヤツだ。

LOGOS(ロゴス) ウォッシャブルシュラフ
そして、バイクに乗り始めて最初の夏休み、ついに一泊ツーリングを決行!
宿泊は・・・・・・・なんと野宿だ!!
キャンプもできないのにいきなり野宿だ。無謀だ。
「準備したり探したりするのが面倒で、金を払うのも嫌」で、行き当たりばったりで家を出たというのが実際のところだったが。
行き先は諏訪湖。
当時住んでいた宇都宮からは遠いような感じがしていたが、一日で余裕で着ける距離だった。
そしてその日は、狙っていったわけじゃないのだが、偶然にも「諏訪湖花火大会」の当日だったのだ。

(つづく)
ツーリングなんて意識になかったが、はじめてみるとこれが面白い。
徐々にはまっていくと、だんだん遠出したくなるのは自然な流れだが、そこで問題になるのが宿泊だ。
それまでの俺の宿泊経験はといえば、家族旅行での旅館、ホテルなどと、出張やレースの遠征時のビジネスホテルだ。
費用を節約しようと思えばビジネスホテルだが、それでも大体6000円はかかる。ただ寝るだけのためにこの金額、何とかならないものだろうかと考え込んだ。
もちろんキャンプも考えたが、テント、寝袋、その他金がかかる。何泊もしないと元が取れないわけだが、「果たしてそんなに使うのか?」と思うと、なかなかふん切れないでいた。
そんな状態だったが、なんとなく寝袋だけは買った。ディスカウントストアで、綿の封筒型シュラフ。
こんな感じの↓安くてでかいヤツだ。

LOGOS(ロゴス) ウォッシャブルシュラフ
そして、バイクに乗り始めて最初の夏休み、ついに一泊ツーリングを決行!
宿泊は・・・・・・・なんと野宿だ!!
キャンプもできないのにいきなり野宿だ。無謀だ。
「準備したり探したりするのが面倒で、金を払うのも嫌」で、行き当たりばったりで家を出たというのが実際のところだったが。
行き先は諏訪湖。
当時住んでいた宇都宮からは遠いような感じがしていたが、一日で余裕で着ける距離だった。
そしてその日は、狙っていったわけじゃないのだが、偶然にも「諏訪湖花火大会」の当日だったのだ。

(つづく)